愛知一中の校歌は、マラソン王日比野寛校長自らの作詞によるもので、明治37年に制定されました。これは日本で最初の校歌であるといわれています。四句二十連の長い詩の中には、愛知一中の教育理念が随所に盛り込まれていたため、旭丘高校と改称された後も、しばらくは歌い継がれていました。
しかし、昭和27年、旭丘高校初代校長の小川卓爾先生の依頼により、愛知一中の卒業生で、国文学者の久松潜一先生(当時、東大教授)が作詞を、信時潔先生が作曲をされて、現在の校歌が制定されました。
1. 東海の山なみ はろばろ見つつ
旭ヶ丘に 学べるわれら
時代をつらぬく 真理をもとめて
さかまく波も 越えてはゆかむ
2. 明らけく清き 日月のごとく
智慧にすみ 情けに徹り
ひたぶるにただ 学に生くるぞ
民主の世きづく いしずゑならむ
3. 繚乱の春は はるかなりとも
身をきたへ 心を高め
風雪をしのぎ やまず進まば
文化の花さく 未来はひらけむ
昭和24年6月、「平和を意味し、地味で高尚な気品を持つ色彩」ということで、「えび茶色」の線のはいった女子用の制服(セーラー服)が全校投票で決定されました。これをきっかけに、この色が新生「旭丘」を象徴する色彩として定着し、現在でも応援団旗・部旗などに使用されています。
旭丘高校について
思想は時世によって異なるが、
時代を超えた真理の追究が人間の目標である。
戦後日本の民主の時代に、個人としての個性をつくり、
他人の個性も十分認めることを主題とし、人生行路を
急がず休まず、で進もう。
人間には文化がある。日本固有の文化がある。
外国の文化と比較して、よりいっそう高い文化をつくる。
それが日本のみならず、世界のために尽くすものとなる。
久松先生ご自身の解説によれば詩の趣旨は次のとおりです。
校章の制定された昭和23年ごろは、帽章が学校の象徴として関心の高い時代であり、その帽章となる校章の制定は慎重に実施されました。
まず、愛知一中の伝統と新生「旭丘」の意欲との二つの相克の中で、「自分たちの校章」というコンセプトで、デザインの募集がされ、全校投票の結果、築城真市教諭・都築浩教諭によるデザインが断然の一位を占めました。そのデザインは、愛知一中のリアルな魚形を抽象化し、美術的にも美しく、メタリックな量感のある魚形にし、旭高の文字を中央に配したものでした。
さらに上位5作品のデザインを実物化し、再度の全校決戦投票の結果、この「双鯱(そうこ)の間に旭高」のデザインが校章と決定され、帽章にも採用されました。
やがて、襟章もこの校章の双鯱の縁取りを学年別に配色したデザインとすることを全校投票で決定して、現在に至っています。
スクールカラー
たゆまぬ真理の探究と烈しい情熱と豊かな情感を感じる、感動的な詩であり、智・徳・体を兼備した全人的完成を目標にしている本校にふさわしい校歌です。 在校生・卒業生によって、現在でも歌い継がれています。